伏見
−日本酒を味わいつつ、幕末に思いを馳せる
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河畔に酒蔵が建ち並ぶ宇治川派流はただの川ではなく、豊臣秀吉が整備した水路の名残です。伏見という町はもともと豊臣秀吉が築いた伏見城の城下町で、1600年ごろに城下町を整備するにあたり、水路を整備して伏見を港として機能させるべく大土木工事を施しました。城下町としての繁栄は、徳川家の天下となり大坂城、淀城(今の伏見区、伏見城の南西)が建設されるとともに終わりを迎えますが、金座と銀座があり、慶長金銀が作られたのも伏見だそうですから、経済の中心としては現役を続けたようです。そしてまた、17世紀の初めから豪商角倉了以によって開削に着手された高瀬川運河によって、京の中心と結ばれることになり、このことも経済的発展を支えることになります。

幕末には勤王の志士たちが活躍した動乱の舞台として有名です。寺田屋騒動と龍馬が襲撃されたことで有名な寺田屋は旅籠として現存しており、内部を見学することもできます。

その後、鳥羽伏見の戦いの戦場となったり、鉄道の開通で舟運が衰退したりと大きな打撃を受けます。しかし、明治初期から東京市場への進出を果たし、「灘」と並び称されるまでに発展した酒造りによって、経済的な基盤を強固なものとしました。


こうして見ていくと、伏見という町はいわゆる京都ではなく、ひとつの独立した町として発展してきたことが分かります。実際に伏見は一時期、京都市ではなく伏見市だったこともあったそうですから、私の個人的な印象もあながち見当違いではないのかも知れません。そしてもちろん、この違いこそが伏見の面白さ、美点であると思います。

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御香宮神社
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寺田屋全景
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寺田屋の入り口
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大倉記念館の内部
Date: 2001/09/16
2003/12/23
Cameras: Nikon New FM2
OLYMPUS OM-1
Lenses: Ai Nikkor 28mm F2.8S
G.ZUIKO AUTO-W 28mm F3.5
F.ZUIKO AUTO-S 50mm F1.8