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2.デジカメの位置


私はデジカメで写真を始め、約1年後フィルム・カメラに移行した。これは何度も書いた。そして、移行の理由について「デジカメへの不満」と書いたが、今回はそれについて詳しく考察してみたいと思う。


以前「フィルム・カメラへの移行」で挙げたのが、画質面(特にラチチュード)への不満である。そして少しシャープネス、延いては解像感のことについても触れている。また、後半では質感の差についても言及している。もちろん、フィルム・カメラの方が高い。

そして、「デジカメに対する不満」では上記に加えて、色抜けについて述べ、後半でメイカーの姿勢についての不満を書いている。いろいろと考えてみると、私が感じた最大の不満は後者だと思うのである。


『PC USER EXTRA No.1 デジタルカメラ完全読本』というムックを買った。その名の通り、現在販売されているデジカメ77機種を全て網羅し、CCDについて、露出とホワイトバランスについて、撮影テクニック、デジカメ活用のためのソフトウェアを解説した「完全読本」と呼ぶに相応しいものだが、それを読んでいて強く思ったのである。「デジカメは進化していない」ということを。


私はデジカメの進化は「より使いやすく高画質に」という方向であるべきだと思っているが、これは多くの人が賛同してくれると思う。使いにくく低画質なものなど誰も欲しくない。もちろん、低価格化や質感、デザインなども求めたいが、まずはこの2点であると思う。

しかし、これが全然達成されない。操作性については、ヒストグラムをリアルタイムに表示させたり、操作体系の見直しによって、即座に露出補正がかけられるのが一般的になったり、ホワイト・バランスもボタンひとつで設定できたりと、ある程度の進化は見て取れるが、画質に関してはひどいものがある。CCDサイズ据え置きなのに画素数を上げていくから、どんどん画素ピッチが狭小化している。最新の1/1.8型400万画素CCDは画素ピッチ3.1μmだそうである。これが画質が低下の元凶である。画素ひとつ分の面積が小さいと、受け止められる光の量が減りラチチュードは狭まる。また、画素ピッチが、レンズを通った光の解像限界を下回るため解像力は落ち、狭小化によって下がった感度を上げるためにデータを増幅するのだが、もちろん必要なデータだけではなくノイズまで増幅してしまうためにノイズが増える。だから価格の落ちてきた1/2型200万画素CCD搭載デジカメが一番高画質だったりするのである。


こういう状況は無反省に高画素に飛びついた我々が悪いとも言えるし、画素数よりも大切なファクターがあることを隠したメイカーの責任だとも言える。まぁ、誰が悪いという話はどうでもいいのだ。私が信じられないのは、この悪循環を断ち切ろうという人がいないという点である。多くのデジカメ・ライターは高画素数を求め、メイカーは画質の悪い高画素CCDを作り続ける。アホか、と思う。「CCDの性能は画素数だけでは語れない」と言ったのは、三洋電機だけらしい。

端的に言えば「デジカメに幻滅した」ということになる。

幻滅するからには、デジカメに対して今までは幻想を抱いていたわけである。即ち「今はフィルム・カメラより劣っているが、これからはデジカメがどんどんと追い上げて、最後はフィルム・カメラを追い抜く」という幻想である。また、フィルム・カメラとデジカメとの差がこれほどまでにあるとは知らなかった。これは画質に拘るようになってから気付いたのだが、その差は大きいのだ。

結局のところ、私にとってデジカメが「フィルム・カメラより劣る存在」でしかなくなったのだ。見ていて気持ちよくない画質、低い質感、常時気にしなくてはならないほどに高いバッテリ消費率、PCに依存してしか存在できないという事実。


そんな時に父からフィルム・カメラを譲り受けた。使ってみると、それは安心して見られる画質を提供し、質感は高く、バッテリをほとんど食わなかった。(完全機械式のカメラを愛用しているから)。そしてPCに依存もしない。もちろん、写真をディジタル化することでPC上で写真を扱うこともできる。

そういうわけで、私はフィルム・カメラに移行した。デジカメがこういう状態であるかぎり、私のような人が増えるのではないかと思う。


2001年7月1日