のすたるじあ(比屋定篤子)

のすたるじあ(比屋定篤子)

このCDを買ったのは1999年の春だったと思います。

昼間、ふと思い立ってラジオをつけていると、ある曲が流れてきました。「いい曲だな」と思いましたが、誰が歌っているかは分からなかったので、DJが紹介するのをじっと待ち、「ひやじょう」か「しやじょう」という音だけを頼りにCDを探しに行きました。「比屋定」なんて苗字を聞いただけで漢字が分かるはずもなく、TSUTAYAの店頭で「し」と「ひ」のところを探しました。今なら、インターネットで検索するところですが、その時は使えませんでしたから、手作業です。マイナーな人らしく、雑誌にも載ってませんでしたしね。

このCDともう1枚のアルバム「ささやかれた夢の話」を今聴くと、胃のあたりが「キュウン」とします。浪人をしていたときによく聴いたCDだからです。MDに録音して、予備校へ通う電車の中で聞いていました。基本的にオプティミストの私ですが、やはりプレッシャーを感じていたらしく、プレッシャーがほとんどない今から考えると、胃のあたりがずっと重かったように思います。浪人はもうしたくないですね。


「のすたるじあ」というアルバムは、比屋定篤子の1枚目のアルバムで、1997年12月に発売されています。9曲しか収録されておらず、価格も2548円と低く抑えられています。私はレンタルで聴いて、「これはいい」というので、後から購入しました。やはり、気に入ったものは持っていたいですから。

このアルバムではブラジリアン・テイストというか、ボサ・ノヴァっぽいアルバムです。なんというかフワフワした感じの曲です。適度な脱力感、という表現が正しいかも知れません。そして、アルバム・タイトル通り、ノスタルジックな印象に仕上がってます。

私はあまり、音楽について論じる術を持たないので、こういう表現しかできないのですが、アコースティック楽器と確かな歌唱力を持つ歌手、そして特徴的で親しみやすいメロディの組み合わせが好きなんですね、たぶん。

詞よりも曲に重きを置く私ですが、「昨日と違う今日」という曲の歌詞は好きです。モチーフとしては、ありきたりの「新しい自分になりたい」というものです。しかし、聞いていると歌詞として描かれた光景がありありと脳裏に再現されるのです。また、詞に「取り戻せる限りの夢の中で/すがるものなど/何もなくてもいいから」とあります。そうですよね。新しいものを手に入れようとすると、古いものは捨てなければならない。「何も捨てずに、何かを得ることはできないんだ」というわけですが、「そうだよな」と深く納得した次第です。タイトルも「昨日と同じ今日」という頻用される表現の逆を行っていて、面白いですね。昨日と今日とを区別できないのは、感受性がないからに過ぎない、と私は思います。

適度に脱力しながらも、主張はきっちりしています。そのバランスがちょうどいいのかも知れません。


現在(2000年12月24日)、アルバムが3枚リリースされています。どれもクォリティが高いので、聴いてみてください。